庭園と料亭 半べえ

半べえ物語

半べえ物語

昭和8年。金井農園として、果樹園を順調に営んでいた半べえ先々代、 金井半(なかば)は、その敷地一面につつじを植えたいと思い立ちます。「みなさまに 喜んでいただきたい。驚いていただきたい」その一心で、一族の強い反対を押し、行動を起こします。

日本各地を巡り、探し出し、取り寄せた約10万本の苗木。現在の半べえ温泉あたりから、聚花山の 山腹まで。大規模に開墾、植樹し、昭和11年、金井公園がオープンします。しかし、時代は、 暗く長い戦争へ。そして壊滅的な状態で終戦を迎えた広島の地には、つつじが美しく咲くのです。

昭和21年、廣島遊園地とその名をかえた、半(なかば)の夢のカタチは、 「つつじの名所」として評判を呼び、遠く関西、四国、九州からも人々が 押し寄せます。ふもとから頂上まで、行列は途切れることなく続き、警察が 交通整理に出たとの逸話も生まれます。

けれども、自然相手の道は、決して平坦ではありませんでした。断層に沁み込んだ雨に よる地すべりは、幾度となく繰り返され、台風や水害も大きな被害をもたらします。 水路を造る改修工事を重ねます。加えて、つつじの手入れは年間大変手がかかり、 現在まで多大な維持費を費し続けることとなります。

当時の姿そのままに、毎年春を彩る半べえ庭園のつつじ。久留米つつじ。 平戸つつじ。深山霧島など約300種。そこに集う笑顔と笑顔。70年を 経た今。半(なかば)の想いはこうして、ずっと伝え継がれています。

昭和45年。先代、金井判(わかつ)のこだわりと、昭和の小堀遠州と称えられた偉大な庭園家、 重森三玲氏の手によって、「聚花山の庭」が生まれます。独特の石の立ち姿。四季おりおりの景色。 半べえ庭園は、年月を重ねて、一層その落ち着きと趣を増していきます。

日々、季節の巡りを教えてくれる庭園。その美しさと恵みをひと品に映す日本料理。 時代とともに失われていく日本の伝統文化をできる限り守ること。たいせつに伝えていくこと。 先々代から先代。そして当代へ。繋がるひとつの想いが「半べえ」です。

・昭和42年1月  株式会社「広島遊園地」設立。「本館(現在の“れすとらん”)」新築。

・昭和60年7月  数寄屋「翠石苑」「六角苑」新築。

・平成元年2月   株式会社「半兵衛庭園」へ社名変更。

・平成6年10月  「名翠苑」新築。

・平成7年    新茶室「聴松庵」新築。

・平成15年9月   株式会社「はんべえ」へ社名変更。

・平成15年11月  「半べえ温泉」新築 。

・社 名  株式会社 はんべえ

・創 立  昭和42年1月

・資本金   7,200万円

・役 員  代表取締役 金井 正樹

・従業員数  70名

・所在地  広島市南区本浦町8-12